3月11日、東日本大震災から10年です。犠牲になられた方々にお悔やみ申し上げるとともに、被災された全ての方にお見舞い申し上げます。10年は瞬く間に過ぎた。震災の記憶を風化させてはいけない自分は10年経って成長したのかは疑問だが、残りの人生精一杯生きるかね
久し振りに感動した某講演。テーマ:コウノトリと共生する地域づくり~農村発イノベーション~。コウノトリの野生復帰を核としたまちづくりに取り組む兵庫県豊岡市の話である
ざっくりと…絶滅したコウノトリを復活させ、コウノトリが暮らしやすい環境をつくるために減農薬、無農薬の米作りを進め、収穫したコメをブランド米として販売する取り組みの話。環境への取り組みによって経済効果が生まれ、経済効果が生まれることによって環境への取り組みがさらに増えたと。野生動植物など自然豊かな道内各まちのまちづくりにも参考になるかも…
日本の野生のコウノトリは、明治以降の乱獲に加え、戦後も営巣木の伐採や田畑を荒らす害鳥としての捕獲が続いたため、戦勝をもたらす瑞鳥(ずいちょう)として保護政策が進められていたが、保護の手が間に合わずに小生が誕生した1971年に絶滅。兵庫県豊岡は最後まで残ったコウノトリの生息地だったが、高度経済成長とともに起こった様々な環境破壊により、豊岡盆地の生息環境も破壊。大規模な圃場整備や河川改修によって、豊岡盆地に広がっていたジル田と呼ばれる湿田や湿地が消滅し、さらに、農薬が普及し始めたことで田んぼの生きものが激減
農薬散布の写真。コウノトリは、生息環境と餌となる生きものを失い、その上に農薬で体がむしばまれたことで、生息数が急激に減少し絶滅となった。
かつてのジル田(湿田)はコウノトリのエサ場であった。
1985年にハバロフスクから若い六羽が寄贈。飼育個体数は順調に増えた。野生復帰を目指すため、国や県、地元自治体、住民団体が一丸となって一大プロジェクトをスタート
里山の田んぼの食物連鎖。ドジョウを池に放してコウノトリが自然の中からエサを捕る訓練や、野生で暮らしていた当時の生息環境を復元する研究、農薬を使わない農業の普及などに取り組む。
たゆまぬ努力の成果で令和2年は221羽までに増える
野生復帰までの取組の経緯
だが、壁は厚く田んぼの中は、かつてはドジョウやタニシがたくさんいた湿田だったが、今は稲刈りが終わると水が抜かれる乾田がほとんど。コウノトリを受け入れてくれる地域社会をつくるめに、さらに、莫大なエネルギーを要している。
農業農村整備はコウノトリのエサ場としての水田の復活に大きく貢献。ドジョウなどの保護、増殖の観点から排水路と田んぼをつなぐ水田魚道に取り組む。
スロープ状魚道でドジョウなどが登りやすくなっている。エサ不足解消のために県内各地からドジョウを持ち寄るドジョウ一匹運動の活動も展開。
かつては「水田が荒らされる」という農家の反発もあったようだが、優雅に空を舞う姿は住民の心を動かしコウノトリと共生できる農法への第一歩を踏み出した。無農薬で田んぼにたくさんの虫がいるにも関わらず草が生えない。益虫と害虫がバランス良く混在して生息しても稲が立派に育つのである。何年もかけて、失敗を繰り返しながらも地道に取り組んできた末に辿り着いた農法。美味しいお米と多様な生きものを育み、コウノトリも住めるための農法が、安全なお米と生きものを同時に育む農法だ。たとえば、生き物が生息しやすい環境づくりのために、冬の田んぼにも水を張る冬季湛水の実施。育苗段階からの有機質肥料の使用。無農薬または減農薬での安全・安心な栽培など様々な技術を採用。コウノトリのエサとなる生き物を育て、コウノトリを守り、豊かな田園を作り続けている。
コウノトリの野生復帰に貢献するウノトリ育む農法で栽培されたコウノトリ育むお米。自然のままの田んぼで栽培・収穫された安全・安心なお米は、ふっくら・やわからで、粘り強く、冷めてもおいしいという。
コウノトリを放鳥し、エサとなる生物を増やしてから、水稲作付面積(無農薬&減農薬)は拡大。生産者も増えているという。コウノトリ育むお米 約2,200万円(H18年)約3億5,000万円(H27年)
コウノトリの郷公園の整備等で、兵庫県は阪神淡路大震災の復興で苦しい財政の中で、50億円近い金をコウノトリのために支出した。凄い。北海道もシマフクロウ、オジロワシ、タンチョウなど絶滅危惧種が増えているが、少しでも生息数を増やすために、公的資金を投入してほしいものだ。
いのちを、こころを、いきものを育む地豊岡のコウノトリ野生復帰の取組みとても参考になった
以前、国際宇宙ステーションに物資を運ぶ無人補給船「こうのとり」が、3.11被災者へのメッセージと折鶴を運んでいたような・・・
